2010年11月10日水曜日

108式実践談スレ

10 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/01/20(水) 21:41:35 N5nu8JcE0
>>9
瞑想することで、焦燥感や感情、執着がかなり薄くなるのは確かですな。
あれ?なんで、あんなに焦ってたんだろう?それほど落ち込むことはないな。
興奮すれば実現するわけでもないしな。
といった感じで、かなり冷静になれます。
日々がずいぶん静かで穏やかになりました。
悪い言い方をすれば他人をみるような感じですw

完璧メゾット実践してみます。
全部を肯定しつづけてみます。
完璧メゾットは瞑想し終えた後などの
「うまくできたかな?」って思考がわいたときなどにも応用できそうですね。

だぜ氏や、画家氏が現在、実践しているメゾットとかあるのだろうか?
というささやかな疑問w


22 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/01/22(金) 02:36:49 9HeHyl4g0
>>10
実は特に何も実践はしていないんです。
たまに頭のデフラグで瞑想するくらいです。
何かのために何かやる、これ、続かないんですよねw
条件付けって疲れるんです。
だから何もしない普通の状態でいるのですが、強いて言えば意図のみです。

あと感情のこと。
先ず感情がどうあろうと望みは叶ってもいい、を大前提にします。
すると不思議に叶います。

もし生きていて心地よくないな、と感じたとき、その感じを支えるフィーリングがあります。
我々はその心地よくないフィーリングから思考を使って逃げようとします。
凌駕しようとしたりむりくり希望を探したりケンかを売ったりw
これは疲れるしキリがありません。

だからそこでストップ。
その感じを感じる、その感じの真ん中に飛び込んでみる、その感じを味わう。
するとマジで消えます。
嫌か感情って何の実体もありません。
これを一度でも体験すると「感情はただ感じるままでいい」と言うことがわかる。
殊更に感情メソッドなどいらなくなる。

我々は思考の癖がありますので暫くはお稽古のつもりでいやな感じになったら「ストップ」するといいです。
そしてただ感じてみる。
「私が望んでいたことは、私が嫌っていたことの中にあった」
こんなおかしなことを認めざるを得なくなる。

感じると解放される。
すると俄然、元気になる。意味もなく(笑)
だからいつも感じているといつも元気なのです(爆)

そこで気づいたことはやる気、とか充実感、とか勇気、とかそんな気分は自然に湧くものだということです。
惜しみなく感情を感じているとそれだけで生きることが豊かに感じられる。
感情に対し、何もしなければそれらは四季折々の花のように移ろう。
そしていつでも新しい。

畢竟、何もしなくても自然にオールオッケーなんです。

長文失礼つかまつりました☆


23 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/01/22(金) 02:43:54 9HeHyl4g0
訂正

嫌か感情×
嫌な感情○

失礼。


25 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/01/22(金) 21:06:11 N5nu8JcE0
>>22
画家さんありがとう。いろいろ気づかされました。
ストップするというのいろいろ応用ができそうでおもしろいです。

ついでに質問なんですが、画家さんの言葉で意図をするというのは
どういう例えなどに置きかえれますか?
あえて実践する場合の意図というようなものもありましたら是非w


26 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/01/22(金) 21:54:26 9HeHyl4g0
>>25
>画家さんの言葉で意図をするというのは
>どういう例えなどに置きかえれますか?

これを手に入れる。
ここに行く。
こうなる。
こう決定する。

だけです。

例えばパートナーと出逢いたい、とする。
意図としては
「パートナーと出逢う」でいい。
出逢うことを決める。

不思議なことに意図は不足を作りません。
不足を作るのは「~したい、~でありたい」です。
意図すると力が湧いてきますよ。
~と決定する、という言葉はデフォルトである認識、
「全ての力はここにある。しかもナチュラリーに」を惹起するからです。