2010年12月3日金曜日

上海雑伎団15-2

488 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 16:15:47 o9z6Jxt.0
「明け渡し」がピンとこない場合には(まぁ、ピンとこなくても無問題なんだけど)、
「差し出す」という感覚を想起してみればどうだろう?

そもそも「明け渡し」というのは、
自分の身も心も全てを神仏にお任せして差し出すというね、
古くからバクティや帰依と呼ばれるものと本質は同じなんですよ。

要するにね、自分でどうこうしようとするのを放棄しちゃうの。

一切合財の「DO」をやめるんです。すると勝手に「BE」になるから。
「BE」は神や仏やサムシング・グレートやら何やらと直結した在り方だから、
後のことはお任せして大安心なわけ。

が、されど、ここで、この大安心を求めて「明け渡し」をしようとすれば、
それは明け渡していないってことだから。

明け渡した暁には、安心と静寂があるかもしれない(いや、あるんだけどw)。
けれども、それを予め求めるのは、「明け渡し」ではない。
自分がどうなるのかを自分で決めないのが「明け渡し」。
何かを求めて取り組むことから真っ向から離反していくのが、「明け渡し」です。


489 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 16:34:26 9HeHyl4g0
55氏ホロートントン。

明け渡し、って明け渡さなければならない!みたいなニュアンスじゃなくて、
時折、自分の全部を明け渡す時間を作るといいよ、ってな提案です。
するとあの「何か大いなるものに任せきった気楽さ」がわかってくる。
背負うよりそのほうが楽で居られるって感じがわかるとそれが自然にデフォになる。
おお、自分で全部やるこたぁねえんだ、と感じると、肩の荷が下りる。
義務から解放されるとやりたいことだけを安心してやれる。

私たちはその習い性として義務を背負わないと安心できないバージョンに慣れ親しんでいる。
寝覚めの落ち込みはそれを示している場合があるかも知れない。
これでいいのかよ、ってw
その「背負わなければ安心できない」マインドを徐々に解放させているだけです。

だからまた背負ってもいいんですよ。
明け渡した状態じゃないとダメだ!ではないんです。
無理するとそれが新たな条件付けになっちゃう。
けどたまに明け渡しをやってればだんだん気分が軽くなる。


497 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 16:56:09 9HeHyl4g0
私たちの気分が落ち込む構造はその落ち込みが「もっともなこと」による現象ではなく、
そうではないことが本来の状態、だからその違和として落ち込みを体験しているのです。
その落ち込みとは「限定、制限」を真に受けたときに来る。

次回落ち込んだとき、自分が何を信じているか、観察するとよく解ります。
必ず何かを制限している。
制限を真に受けている。
自分は被害者で、ダメで、この先状況は一向に変わらないのだ、とご丁寧に思い込んでいる。

その落ち込みは「限定、制限」という概念そのものが本来のフォームとは違うから、それが来る。
その概念が、ある大きな力に対する「抵抗」として働いている。

私たちは何かやらなければ何かを実現できないと頑なに考えている。
それが当たり前だと。
働かざるもの、食うべからず。
行為こそ、全てだ、と。
因果律を金科玉条に掲げている。
それがお互い様なのです。

しかし、実はどうもそうではなさそうだ、全く真逆だよ、ってのがLOA、108式、その他、
ある場所からの情報として示されてきたものです。

だから逆に力を抜こう、リラックスしよう、気分良くいよう、というのは意図を活性する働きは別の領域ある、
それを遺憾なく起動させるために、出来るだけ抵抗を外そう、といった発想です。

なにもやることはない、逆になにかやることが願望の動きを邪魔しているのだ。
ある情報では「幸せに屈服すること」を薦めます。
またある情報では「いま、ここで、やることを一切やめることだ」と。

私たちの概念と逆さまな世界が実はそうだったのだ、と。

「なんだ、最初から安心しかねえのかよ!」
「だったらここで安心してていいんだ」

そんな認識になる。
またそれを疑うような<錯覚>が来てもいいのです。
体験が認識を深めてゆく。
だから何が来ようが気にすることはない。
落ち込もうが泣こうがなんら気にすることはない。


503 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 17:26:58 9HeHyl4g0
我々は不都合な現状が変わらないとき、それを変えようと一生懸命にプッシュする。
動機は明らか。それが嫌だからだ。

行動もマインドもそれに総動員される。
その中にはメソッドさえ含まれる。

そのアクション全部「嫌だ」に支えられている。
結果、嫌だを具現化する。

「そりゃ当たり前だろ!誰でも嫌なものは嫌だ」

そう、当たり前である。
そしてあなたはその当たり前によって当たり前に嫌な現実を見る。

「だったらどうしろと・・」
「諦めろとでもいうのか・・」

いや、全く違う。

その「不都合な現状」そのものを疑ってみることだ。
これはほんとに不都合な現状なのかと。

「不都合だよ!仕事も見つからないし、金もないし、何もない!」

もしそれらが全て嘘だったら?どう感じる?

「現実としてあることを嘘だと考えろ?だと?」

そうだ。
今だけでいい、嘘だとしたら、どう感じ、何をやろうとするか?

「ああ、架空の話だな。それなら・・・」

どう感じる?

「安心するね」

何をやりたい?

「途端に腹が減ってることに気が付いた、何か食べたいかな」

では安心して、何か食べなさい。
食べたら次にやりたいことをしなさい。
それが抵抗を外すことになるから。

「え?何の抵抗だよ」

あなたの夢への抵抗だよ。
現状の否定は否定的現状を生む。
その否定とは単なるあなたの思い込みに過ぎないのに、それを「これが現実だ!」とか絶対的権威を与えたあなたの認識、
それが抵抗さ。

「夢への抵抗?俺は夢を叶えたいから苦しんでいるんだよ?」

そう。叶えたいから。
叶えたいから苦しみが来る。
何故か解るか?

「何故だ?」

あるものを、ない、と認識しているからだよ。

「あるもの?」

うん、あるものだ。
あるものを、ないないと言い続けている。
その望みは既に叶っており、もうじき現実の世界に展開されるものだとしたら、どう思う?

「そりゃ気分いいが、来なかったら相当落ち込みが激しいだろう」

それが恐いから抵抗を外せないのだ、違うか?

「恐いね」

その恐れを外してみないか?

「どうやって?」

もしこのまま何も叶わなかったらどうだろう?と思考したときに起こる感情を見てごらん。
その感情を見る大胆さが必要だ。


505 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 17:37:50 KBD626.A0
>もしこのまま何も叶わなかったらどうだろう?と思考したときに起こる感情を見てごらん。
ぜ…絶望しかないのだがorz


507 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 18:06:21 vjhgHy0A0
>>497
画伯は落ち込むことが無いんですか~?


513 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 18:45:21 9HeHyl4g0
>>505
絶望などする必要はありませんが、もし絶望感が抵抗になってるのならそれをリリースするのも手です。
一旦、絶望感に対峙すると「絶望の価値」がぐんと下がる。
アフォらしくさえ思えてくる。

>>507
ありますよ。
向き合えばなんてことありません。


530 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/03/15(月) 20:14:38 W2VJugSgO
のぞいてみたらこんなに増えてる(O_O)
画家さんの503の話素晴らしいですね。わかりやすいなあ。画家さんもてそうだよなあ。うじゃうじゃ周りに女性がいるんじゃなかろうな(´Д`)〃


532 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 20:27:38 9HeHyl4g0
>>530
あなたは自分の絶望感をリアルに受け入れ、それに対峙し、解放させましたからね(笑)
すごく大胆でエネルギッシュです。

>うじゃうじゃ周りに女性

うじゃうじゃはいませんが適当にいますw